2010年12月1日水曜日

イラク難民の今 本国送還に傾くスウェーデン 過激派恐れ…姿消す

 2003年のイラク戦争開戦とその後の国内の混乱の中で起きた激しい宗派抗争を逃れたイラク難民が数多く暮らす市がスウェーデンにある。首都のストックホルムから列車で約40分のセーデルテリエ市(人口6万人)。難民が市の人口の1割を超え、その多くは少数派のキリスト教徒だ。だが、欧州各国の趨勢(すうせい)は「イラクの治安は回復した」として、難民の本国送還に向かいつつあり、イスラム過激派のテロを恐れる人々が送還を逃れるために次々と姿を隠している。(スウェーデン南部セーデルテリエ市 木村正人)

 イラクで弁護士をしていたというテルー?ガリさん(66)はつえをついてセーデルテリエ駅に現れた。1960年代に英海軍兵学校に留学し、イラクでは軍歴もある。いったん米国に移住したが、湾岸戦争後に帰国。2000年、サダム?フセイン大統領(当時)の弾圧強化を恐れて再び脱出した。

 「イラク攻撃でフセイン政権が崩壊した後、イスラム過激派は、キリスト教の米英がイスラム教に戦争を仕掛けたと宣伝し、イラクのキリスト教徒も敵視され、テロの標的となった。20余りのキリスト教会が爆破された」と語る。

 イラク空軍で輸送機や爆撃機の乗務員をしていたガリさんの息子(41)はフセイン政権崩壊後、駐留米軍のトラック運転手をしていたため過激派に狙われ、シリアに逃れた。07年に妻と子供2人を連れてスウェーデンに密入国したが、翌年、難民申請を却下され、数カ月前、家族と姿を隠した。本国送還を逃れるためだ。

 ?「街頭に出るな」?

 ガリさんは「イラク難民を支援してきたキリスト教会は申請を却下された人に『列車やバスに乗るな。街頭に出るな』と助言している。警察に見つかると本国に強制送還されるからだ」と表情を曇らせた。

 今年に入って同市の学校からイラク人の子供50?100人が姿を消した。大人も含めると計400?500人が、どこかで息を潜めて暮らしている。

 07年には欧州全体の42%にあたる1万8559人のイラク人がスウェーデンに難民申請を行い、その80%が認定された。セーデルテリエ市のイラク難民は現在、計7千人に達している。

 08年4月、同市のラゴ市長は米議会に呼ばれて証言し、「難民を拒絶するわけではないが、市の限界を超えている」と訴えた。当時、上院議員だったオバマ大統領は市長と会談し、米国がテロを警戒して年間700人程度しか受け入れていなかったことに「恥ずかしい」と語った。米国はその後、駐留米軍への協力者を中心に年間1万人以上を受け入れるようになった。

 スウェーデンは、欧州連合(EU)にもイラク難民の受け入れ拡大を求めたが、各国の反応は冷たかった。スウェーデン政府は難民が集中するのを避けるため、寛容政策を転換。移民控訴裁判所が「イラクの治安は回復し、難民認定には各個人の証明が必要」と判断したことを受け、08年2月、イラク人の帰国を進めることでイラク政府と合意した。昨年の難民認定は申請者の26%にとどまり、今年は7月までに390人が送還された。

 ?「戻る場所ない」?

 イラク難民の認定を厳しくしたのはスウェーデンだけではない。英国も05年にイラクと覚書を交わし、認定の門は格段に狭くなった。デンマーク当局は昨年8月、本国送還を拒否するイラク人が隠れるキリスト教会を急襲して17人を逮捕。ノルウェーは今年、185人を本国送還した。

 セーデルテリエ市で難民を対象にコンピューター教室を開くドゥレイド?ベヘナムさん(36)はシャツをまくり、右腕の銃創を示した。「イラクのアルカーイダ組織が職場に押し入り、機関銃で撃ち抜かれた。4年前に2万ドル(約170万円)を払って密入国業者の手引きで妻と2歳の娘を連れてトルコ経由で逃げた」という。

 ガリさんは「家も家財道具も売り払ってイラクから脱出したわれわれに戻る場所などない」と訴えた。

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引用元:エミルクロニクル(Econline) 総合サイト

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